ある時、私は瞑想中にサティ*が入らなかった。瞑想が終わった後、ジャーナリングを行ってみると、サティが入らない自分を情けないと思っていることが、紙に書き出されていた。私は、自分を情けないとジャッジしていることに気づくと「サティ入らなくてもまあ、いっかあ」と思えるようになった。自己受容することができた。
*サティ パーリ語。日本語では「気づき」と訳される。「今の瞬間の事実にありのままに気づくこと」を「サティを入れる」と言います。
私のジャーナリング講座の受講者の中にも、ジャーナリングの実践によって、自己批判的な態度から自己受容的な態度へと変化した方がいらっしゃいました。
