ジャーナリングで書き出した思考を読み返してみると、そこにはいつも自分が考えている思考が書かれていた。いつも同じことを考えてぐるぐるしている。その思考はある人の言ったことが事実がどうか検証している思考だった。この思考をいつも延々と繰り返しているのである。検証結果は考えるごとに変わる。コロコロ変わる。検証すればするåほど泥沼にハマり、毎回考えるごとに検証結果が違う。
「いい加減やめたらどうだ……こんなこと」
無駄な思考。検証する思考の癖。この思考の癖に気づいた時、私はその思考を手放した。
 これで思考の悪習慣がひとつ減った。だが、検証癖の範囲は広く、あらゆることについて、事実かどうか検証していた。また、答えが分からないと、その答えを求めて延々と検証して頭でぐるぐると考えていたのだった。昔、マインドフルネスセラピストの方に言われたことを思い出した。
「答えを求めない」
この私の思考の癖を踏まえての発言だった。

 私は人の意見に左右されやすい性質を持っていた。「答えを求めて延々と検証する思考の癖」と「人の言ったことに左右されやすい」という性質ゆえ、人の言ったことが事実かどうか延々と検証していたのかもしれない。これは推測に過ぎないが、おそらく間違いではないだろう。
 「答えを求めて延々と検証する思考の癖」と「人の言ったことに左右されやすい」ことについてジャーナリングしてみるか。