日記とジャーナリングは違うと聞いたが…

ジャーナリングでは、自分の思考や感情、内面のドロドロしたものを書き出して文字にすることで、外に取り出すんです。これを外在化と言います。文字を読み返すことで、自己客観視することができるんです。気持ちがスッキリするカタルシス効果や思考整理の効果もあるんです。

では、日記はどうでしょうか。日記も自分の感情や思ったこと、内面のドロドロした部分を書き出すことは十分にあり得るんです。だから日記もジャーナリングなんです。

日本では、平安時代に書かれた歴史的に有名な作品があるそうです。例えば、和泉式部の『和泉式部日記』。身分違いの恋やスキャンダルに揺れた和泉式部の日記ですが、この日記には、ジャーナリングの特徴である脱同一化が見て取れます。彼女はこの日記の中で、自分自身のことを「私」ではなく「女」という三人称で書いています(例:「女はこう思った」)。これは、意図的に自分と感情を切り離し、幽体離脱して自分を上から眺めるような「脱同一化、メタ認知、自己客観視」の技法です。恋愛の熱狂と苦悩の中にいながら、その苦悩を文字にして外在化し、自己客観視していたのです。

脱同一化とは、感情や思考に囚われて一体化した状態から抜け出し、自分と自分の感情を切り離し、自分の感情と距離が取れた状態です。

藤原道綱母の『蜻蛉日記』では、夫(藤原兼家)の浮気に対する激しい嫉妬、虚無感、待つことの苦しみといった、人間の最もドロドロした感情が赤裸々に綴られています。彼女は、自分の中に渦巻くコントロール不可能な「嫉妬」や「苦悩」を、ただひたすら紙に書き殴りました。頭の中で処理しきれないネガティブな感情を文字として外在化させることで、激しいカタルシスを得て、狂気やパニックから自分の心の安定を保つためのセルフケアとして機能していました。

紫式部も「紫式部日記」の中で、自己分析したり、自己客観視したりしていました。

よく「出来事だけを書く日記とジャーナリングは違う」というよく分からない記述を見かけますが、別に日記だって出来事以外の自己の内面の吐露はあるでしょう。