有名人のジャーナリング事例

ブルース・リーを絶望から救った「書く力」:最強の武道家が実践していたジャーナリング

世界的なアクションスターであり、伝説の武道家として知られるブルース・リー。彼の圧倒的な強さとカリスマ性の裏には、ある一つの意外な習慣がありました。

それは「常にノートを持ち歩き、ひたすら書き出す」という習慣です。

ふと思いついたアイデア、武術の理論、そして自分自身を律するための哲学。彼はそれらをポケットサイズのメモ帳やバインダーに絶えず書き留めていました。

近年、頭の中の思考や感情を紙に書き出す行為は「ジャーナリング」と呼ばれ、メンタルコントロールや目標達成の有効な手段として注目されていますが、ブルース・リーはまさにその達人だったのです。

この記事では、彼がいかにして「書くこと」で絶望的な状況を乗り越え、自らの運命を切り開いていったのかをご紹介します。

挫折の中で書き出した「明確な主要目標」

ブルース・リーが自らの目標を紙に書き出した有名なエピソードがあります。それは彼がスターとして成功を収める前、ハリウッドで大きな挫折を味わっていた時期のことでした。

1969年1月、端役しか得られず、経済的にも苦しかった彼は、一枚の便箋に「My Definite Chief Aim(私の明確な主要目標)」と題した宣言文を書き留めました。

「私、ブルース・リーは、アメリカで最高額のギャラを受け取る初の東洋人スーパースターになる。その見返りとして、俳優として最高品質の、最もエキサイティングなパフォーマンスを提供する。1970年から世界的な名声を得て、1980年の終わりまでに1,000万ドルを手にする。私は自分の好きなように生き、内なる調和と幸福を手に入れる」

用紙の上下には赤いペンで「Secret(秘密)」と記されていました。彼は誰かに見せるためではなく、自らの心に深く刻み込むために、この野心的な目標を紙に書き出したのです。

突然の絶望と、ベッドの上の「闘い」

しかし、目標を宣言した翌年の1970年、彼を悲劇が襲います。

重いバーベルを使ったウエイトトレーニング中に、背中に致命的な大怪我(第4仙骨神経の損傷)を負ってしまったのです。医師からは「二度とカンフーはできないかもしれない」と宣告され、半年近くもの間、ベッドでの絶対安静を余儀なくされました。

自らの肉体だけを武器にする武道家・俳優にとって、それは「すべてを失う」に等しい絶望でした。

激痛、そして「もう二度と動けないかもしれない」という恐怖、焦り、怒り。ネガティブな感情に押しつぶされそうになる中で、彼を救ったのが「書くこと」でした。

彼はベッドの上に特製の机を設置し、鎮痛剤で痛みを堪えながら、ノートへの書き込みに没頭しました。

ノートに書き留められた「哲学」と「思考」

彼が絶望の淵でノートに書き留めていたものは、単なる日記ではありませんでした。それは自分の心をコントロールし、未来への準備をするための「ジャーナリング」でした。

1. 感情のコントロール
彼はノートに「怒りは最終的に自分を破滅させる」といった言葉を書き留めました。理不尽な状況に対する怒りや絶望に心を支配されないよう、ペンを通して自分自身を客観視し、精神を律し続けていたのです。

2. 思考の整理と理論化
体が動かせない代わりに、彼は自らの武術のアイデアや戦術、哲学をひたすらノートに書き出し、図解しました。この寝たきりの時期に書き溜められた膨大なメモとスケッチは、後に彼の武術哲学の集大成である著書『Tao of Jeet Kune Do(ジークンドーへの道)』のベースとなりました。

「書くこと」がもたらした奇跡

ノートに思考と感情を書き出すことで強靭なメンタルを維持した彼は、過酷なリハビリを乗り越え、奇跡的に映画界への復帰を果たします。

そして1973年、映画『燃えよドラゴン』で世界を熱狂させました。彼は1969年に便箋に書き出した「最高額のギャラを受け取る東洋人スーパースターになる」という目標を、自ら定めた期限よりも遥かに早いスピードで現実のものにしたのです。

ブルース・リーの残した膨大なメモや手帳は、ジャーナリングがいかに強力なツールであるかを私たちに教えてくれます。