サピエンスが認知革命によって手に入れてしまった苦しみと進化の過程で手に入れた感情のプログラムの誤作動による苦しみをジャーナリングで解決する

何か嫌な出来事が起きて、苦しむ。そしてそのことをいつまでも引きずってぐるぐると悩み続けてしまう。嫌な出来事が第一の矢だとすれば、悩み続けてしまうのは第二、第三の矢だ。この第二の矢という表現は原始仏教の経典に出てくる表現だ。

人間は複雑な言語を獲得することによって、未来や過去のことを想定して考えることができるようになった。未来や過去といった今ここに無いもの、つまりフィクションを作り上げることができるようになった。これを認知革命と呼ぶ。

この認知革命によって、未来のことを心配して「嫌な出来事が起きたらどうしよう」とか、過去のことを思い出して「あの時、すごい嫌な思いをした。頭に来る」と考えたりもするようになってしまった。
第二、第三の矢による苦しみは、認知革命によるものだ。複雑な言語の獲得によって、我々サピエンスは思考による苦しみも獲得してしまったのだ。

原始仏教では概念が生じてから、その概念が連なっていくことを、つまり思考の連鎖が起きて、思考が団子状になっていくことをパパンチャ(概念増殖)と呼んでいる。パパンチャはブッダが話していた言語であるパーリ語だ。原始経典もパーリ語で書かれている。

苦しみの原因はまだある。感情の獲得だ。
原始時代、群れで行動し、生活するサピエンスにとって、群れから追い出されることは餓死や他の動物に襲われて死ぬことを意味した。群れ内の地位が低くなれば、食料が回ってくるチャンスも減っただろう。

大きな戦闘の後は、仲間が傷ついたり、死んだり、自分も傷ついたりする。そこで「悲しみ」という感情を抱くことによって、傷が癒えるまで洞窟などで外に出ないでじっとしているようサピエンスは進化した。人間は、悲しい時にはあまり活発に動かない。

現代の日本では、マンモスや他の部族と闘うような戦闘はないだろう。だが、狩猟採集民と同じDNA構造を持つ現代人は、悲しみという感情のプログラムを持っており、命の危機ではない出来事でも、悲しみという感情のプログラムが作動してしまう。その結果、日常生活や仕事に支障をきたすのだ。感情のプログラムが誤作動しているのである。

悲しみだけではない。現代人は、怒りや憎しみなどの感情のプログラムも誤作動してしまうよう作られている。DNA構造からそうなのだ。
第二、第三の矢による反芻思考と、感情のプログラムによる誤作動で、苦しみを抱く現代人。

この苦しみを緩和するひとつの方法がジャーナリングである。
ジャーナリングで自分のありのままの思考を書き出すことにより、自分の思考を脳内から外部へと取り出し、可視化することで客観的に思考を眺めることができるようになる。するとそこには、0か100でしか考えることのできない極端な思考、認知行動療法でいうところの「白黒思考」や、ネガティブなことにばかり注意が向けられ、そのことばかりを考えてしまう、視野狭窄な思考の癖、認知行動療法でいうところの「心のフィルター」などが現れているのだ。

ジャーナリングで思考をありのままに書き出すことで、自動思考が明らかになり、その思考の癖に気づくことができ、そこから自動思考に対する反証をジャーナリングで書き出すことで、白黒思考や心のフィルターといった思考の癖を手放すことができる。自分のネガティブな思考や思い込みを、自分で論破することにより、苦しみを生み出す思考が無くなり、現実に適応的な思考、認知行動療法でいうところの適応的思考を持つことができる。

これにより、サピエンスが認知革命によって持つようになってしまった苦しみや、感情のプログラムの誤作動による苦しみから脱却することができるのである。

もし、1人でジャーナリングを行なっても、そうした成果が得られない時は、私が行なっているジャーナリングと対話によるセッションに申し込んで欲しい。私が実際に行った「ジャーナリングと対話によるセッション」では、そうした事例がたくさんあるからだ。