テーラワーダ仏教(原始仏教、初期仏教)には慈悲の瞑想というものがある。全ての命あるものに慈悲の心を向け、幸せであることを祈る瞑想(こんな説明でいいのか?)である。

自分の心に怒りや怨みがあると他人の幸せは願いにくい。というわけで、まずは自分の心に溜まった毒を吐き出す必要がある。今日は、ジャーナリングで毒を吐き出す方法のようなものについて書きたい。

嫌いな人、憎い人、恨んでる人に対する怒りや恨み、不満を洗いざらいノートに書き出す。そのノートは誰にも見せない。嫌いな人に対する罵詈雑言を書き出す。すると気持ちがスッキリする。そうやって心の中の毒を吐き出す。この際、通常のジャーナリングとは違って、ペンを走らせる手は止めてもよい。

まあ、決まりきったやり方があるわけではないので、好きなようにやるとよいだろう。これはあくまで私のやっているやり方である。
毒を吐き出して楽になった心は、慈悲の瞑想がやりやすくなる。

毒の溜まっていない人はやらない方がいいだろう。ネガティブなエネルギーを無理に出力することはない。それは心を汚すことになる。

心に毒が溜まった時には、心を汚してでも毒を吐いた方が良いと思う。そうでなければ、自分や他人の幸せを願ったり、祈ったりする、慈悲の心を持つことは難しい。

慈悲の瞑想には色々なバージョンがある。下記にひとつ紹介させていただく。


私が幸福でありますように
私に苦しみがありませんように
私に怨みがありませんように
私に怒りがありませんように
私に悩みがありませんように
私の幸福が守られますように

すべての命あるものが幸福でありますように
すべての命あるものに怒りがありませんように
すべての命あるものに悩みがありませんように
すべての命あるものの幸福が守られますように

すべての命あるものが、一切の苦しみから解き放たれますように
すべての命あるものの、その得たるものの失われることがありませんように

自己の業を持つ、すべての命あるものは自らそれを引き継ぐものである
業を因として、業を縁者として、業を拠り所として・・・

すべての命あるものはその為すであろう事柄が、善であろうと、悪であろうと、自らそれを引き継ぎ、その果を引き受けていくのである