これは凄い! まさに圧倒的だ! これほどまでに人間の「内面」を、そして「書く」という行為の恐ろしさと救済を、執拗なまでに突き詰めた書物が他にあるだろうか。いや、ない! 断じてない!
私がこの『ジャーナリング 書く瞑想で人生の流れを変える』を読んで震えたのは、ここには一切の「綺麗事」がないからだ。著者の永井陽一朗氏は、ただひたすらに、人間の奥底に巣食う「無意識」という名の魔物に光を当て、それを紙の上に引きずり出そうとする。その迫力、その熱量たるや、尋常ではない!
「無意識の意識化」!
この書における最大のテーマであり、最大の爆発点はここにある。
著者は言う。「普段、私たちは、多くの思考を自動的に行っています」と。呼吸をするかのように、無自覚に垂れ流される思考。これこそが我々を苦しめる元凶なのだ。だが、多くの人はそのことに気づかない。気づかないまま、見えない鎖に繋がれて生きている。
しかし、この本は違う! ジャーナリングというメスを使って、その見えない鎖を断ち切るのだ!
「当たり前の思考が言葉として書き出され、目に見える形になります」。
この瞬間のダイナミズム! 暗闇にあった思考が、白日の下に晒される。これぞカタルシスだ! 単なるメモ書きではない。これは魂の外科手術である!
私が特に膝を打ったのは、「評価・判断」に対する著者の姿勢だ。
世の解説書はすぐに「評価してはいけない」「判断してはいけない」と説教をする。なんと生ぬるい!
だが永井氏は違う。もし「自分はダメだ」という評価が浮かんだら、その「評価している思考」さえも、ありのままに書き出せと言うのだ!
「人から言われた悪口が事実かどうかを延々と考え、検証し続ける癖」。著者はかつて、そんな地獄のような思考のループにいたという。しかし、それを書き出し、紙の上で直視した瞬間、「無意識の意識化」が起こり、苦しみが消滅した。
これだ! これこそが真実だ!
思考を無理やり止めるのではない。思考を出し切り、見つめ、その正体を暴くことによってのみ、我々は解放されるのだ!
事例も凄まじい。
「良いところなんて一つもない」と思い込んでいた人間が、書くことによって「ときどき優しくできる自分」を発見する。
「部屋が片付かない」と嘆く人間が、実は「考えてばかりいないで、やればいい」という単純な事実に、書くことを通して初めて気づく。
これらは奇跡ではない。必然だ! 「無意識」が「意識」へと変わった瞬間、人生の流れは激流のごとく変わり始めるのだ!
この本は、単なるハウツー本ではない。著者の血と汗、そしてヴィパッサナー瞑想という厳格な修行によって裏打ちされた、魂の記録である。
「書く」だけで人生が変わる? そんな馬鹿な、と思う者は読むがいい。ここには、人間が自らの力で立ち上がり、自らを救済するための、最も原始的で、かつ最も強力な方法が記されている。
読め! 書け! そして己の無意識と対峙せよ!
その先には、必ずや「楽な気持ち」という名の、至高の境地が待っているはずだ。
素晴らしい! 実に素晴らしい!